恩田陸「蜜蜂と遠雷」感想

大袈裟でなく、文学の無限の可能性を目の当たりにした。毎日、貪るように文字を追い作品の世界に没頭した。この作品に登場する風間塵は神様からの「ギフト」だけれど、小説家としての恩田陸もまた、神様に選ばれた存在なのではないだろうか。

ネット上に転がっている様々な「蜜蜂と遠雷」感想文においてもう何度も言われていることだけれど、改めて言わせてもらう。この作品の最大の強みはなんといっても、音楽を文章で書き興す圧倒的表現力だ。ある時は宇宙へ、ある時は大草原へ、ある時は月の光に誘われて、ある時は荒れ狂う風にさらわれて。この作品の大部分はコンサートホールの客席でピアニストの演奏を聴いている人間視点で進んでいく、にもかかわらず、短時間で様々な場所へ連れて行かれて、そして二度と同じ演奏は存在しない。頭の中で音の粒が飛んだり跳ねたり潰れたり、色が付いたりまだらになったり消滅したり、目まぐるしい場面転換に息をのむ。が、実際に作品の中ではコンサートホールから出ていない。音楽の、そして文学の芸術としての代替不可能な価値を突きつけられた気がした。

なんの努力もなしにのし上がってきた分かりやすい「天才」と、天才に嫉妬しながらも愚直に高見に上り詰めたこれまた分かりやすい「努力家」が登場しないのもとても良いと思った。仕事の合間を縫って練習時間を捻出してコンクールに参加した妻子持ちで楽器店勤務の高島明石は後者に近いかもしれないが、彼もまた、他者から見れば「天才」の部類なのだとわかる描写がいくつかあった。生活者の音楽、いい言葉だ。音楽のみに生きるものだけが尊敬に値するのか。生活者の音楽は、音楽だけを生業とするものより劣るのだろうか。優しさの中に怒りを持つ彼の音楽への執着と愛がこの物語における、読者が最も感情移入しやすい部分だと思う。

風間塵というトリックスターを、愛さないわけにはいかない。愛さざるを得ない。彼はいつも師匠との「音楽を自然に返す」という動機を中心に動いていて、多分読者がもっとも感情移入しにくいキャラクターの一人だったのではと思うけれど、ありがちな「孤高の天才」に留まらず素直でチャーミングでとても愛らしい。彼の弾くピアノの音を聴いてみたいと思った読者は私だけじゃないだろう。

蜜蜂と遠雷」はこの二人とマサル、栄伝亜夜の4人を中心とした物語。ライバル視してバチバチすることだけが勝負ではない。才能に恵まれた4人がそれぞれの演奏に感嘆し賞賛し自分の糧にする明るく爽やかで清々しい青春群青劇。ストーリーそのものに大きな起伏がないにも関わらずページを繰る手が止まらないのは、演奏一つ一つが全く異なる個性を持ち、次はどこに連れて行ってくれるのか気になって仕方ないからである。

大学の春休みという落ち着いて時間のとれる時期にこの作品に出逢えてよかった。読書を愛する全ての人に捧ぐ、恩田陸蜜蜂と遠雷」をよろしくどうぞ。

蜜蜂と遠雷

蜜蜂と遠雷